僕は、五(ぐ)に張った。

思った事を書いてるだけ

バイト初日

指定された場所はビジネスホテルだった。

近くのコインパーキングに車を停め、心を落ち着かせる。

なにせバイトなんてかなり久しぶりだ。そりゃ多少なりとも緊張する。新しい職場、新しい仕事、新しい上司、そして新しい仲間が僕を待っている。

はたして僕はちゃんと仕事をやれるのか?ちゃんとコミュニケーションをとれるのか?

タバコを2本吸った。味はしなかった。

そして、約束の時5分前。いざ出陣。

服装はなんでもよいと言われたからオーソドックスな作業着をチョイスした。昔工場でバイトしていた時のやつだ。やはり作業着の汎用性は高い。まあ若干、鉄くさいのはご愛敬。

ホテルへ入るとフロントに若いお兄さん。

やあ、新しい仲間。もちろん僕は先手をとる。

「おはようございます。今日からお世話にな」

「あ、こっちからではなく裏から入ってください」 

いきなり洗練。

年端もいかぬ若造に45組扱いされる作業着のオッサンは僕だ。

それを笑顔で切り返し「わかりました」と外へ出た。そして、担当者へ連絡。しばし待たれよとの事だった。

小さいおばちゃんがやってきた。

すかさず、元気に挨拶をする。

「今日からお世話になります!よろしくお願いします!!」

「あー、どうもよろしくね!」

彼女のその風貌は、あからさまに掃除オババだった。僕は敬意を込めて彼女を【オババ】と心の中で呼んだ。

裏口からホテル内へ侵入。

階段を上がり、シーツやら備品が置いてある倉庫へと入る。そこには2人のマダム。挨拶するも、そのレスポンスはどうもそっけない。まあ、あれか。入れ替わりが激しい職場あるあるの対応ってやつか。そんな死んだ魚のような眼で僕を見ないでくれ。頑張るから。

オババからタイムカードやらなんやらの説明を受ける。

ここで僕は察した。

このオババが僕の指導係、つまり師匠。

「掃除は好きかい?」

オババはふいに聞いてくる。

「ええ、好きです!」

そう咄嗟に答えたがそれはブラフだった。正直、掃除は嫌いだ。出来ればやりたくないし散らかっているほうが落ち着くまである。

しかし、ここで本音を述べてもマイナスでしかない。

これから掃除の仕事をする男が「掃除嫌いです!」とか言ってもただ寒いだけだ。

タイムカードをあの機械に差し込み就業開始が刻印される。さあ頑張るぞ。

オババと共に現場へ向かう。その部屋の前にはシーツやらなんやらの白い布がもりもりに乗った台車が置かれていた。

「一通りの流れをやるから見ててね」

そう語る師の背中は頼もしかった。

その部屋は客がチェックアウトした後のシングルルーム。ベッドはくちゃくちゃ、テーブルの上にはゴミが散らかり、お風呂場はびちゃびちゃでタオルがぐしゃぐしゃ。人の臭いがした。

「まずはゴミを回収して…」

彼女は説明しながら、かなりスピーディーにテキパキと片付けていった。僕はその様子を眺めながら、その行程をメモにとる。

しかしオババの動きと説明が早すぎてメモが追い付かない。

ベッドメイキングあたりで、メモをとるのは諦めた。

僕はオババをボンヤリと眺めていた。まるでYouTubeでパチスロ動画を観ているが如く。

そんな僕に彼女は喝を飛ばす。

「ほら!こっちきて、ちゃんと見て!」

やはりスイッチが入っているのであろう。荒々しい口調、デカい声はまさに職人の姿。いつしかオババは前に掃除した人の仕事にまでケチをつけ始める始末。

「こことか前の人がやってないのよ!ったく!」

「ほらこれ、こういうのダメなんだって!」

へえーとしか言いようがなかった。僕の心はそんなん言われても知らんがな。

そして、喚きちらしながらもあっという間に部屋は綺麗になった。

「だいたいこんな感じ。どう?」

ーーーどう?

そんなドヤ顔で言われても、答えに困る質問だった。

とりあえず「すごいっすね」と。

「次いくよ!」

隣の部屋へ移動。その入り口でオババは言った。

「じゃあ次はやってみて。見とくから。」

青天の霹靂、放り出された大海原、右も左もわからない。

最初なにやってたってけ?ゴミ?ゴミ片付けるの?シーツとかってどのタイミングで?あれ?え?

僕はとりあえず、机の上に置いてあったコーラのペットボトルを持ってうろうろした。

「あんた何をしたいの!ゴミ全部片付ける!ゴミ!」

くう…

やはりオババは厳しかった。

ゴミを全て片付けた後、さっき書いたメモを取り出す。しかし、なんて書いてあるかわからない。

ーーーあんたは何を見てたのか?何をしたいの?わからないならすぐに聞いて。

そんなオババの叱咤の中、なんとかこの部屋の掃除を終わらせ次の部屋に移動。

「じゃあ口出ししないから1人でやってみな」

え?もう?

しかし、そんな3部屋目で僕が仕事をこなせるわけもなくちょいちょいオババに確認しながら作業を進めた。

風呂場に使用済みのコップがあった。

あれ?これどうすんだっけ?

「これって?」

「スポンジで洗うんだよ!ちょっと貸してごらん!」

オババがカットインして、洗面台でコップを洗い始めた。ただ、僕は気付いていた。そのスポンジ、今浴槽や床を洗ったやつだと。

だが、僕は何も言わなかった。

「ほら、これでいいんだよ!って、これ違うスポンジじゃん!アンタこれでコップ洗ってたの!?」

「いや、洗ってないっすよ、それ風呂のやつっすよね」

「…ふーん」

「ええ」

この「ええ」はディスりでしかなかった。オババよ、あんたは間違ったんだ。ざまあ。

「まあいいや」

オババはそう言ってそのコップをそのままセットした。

(よくないでしょ)と心の中で突っ込みを入れるも、今の僕には彼女を止めることはできない。

そして、この部屋は8割方僕1人で掃除を終えた。

次の部屋へ移動。

「じゃあ、ここから1人でやっといて。わからない事あったら呼んでね。」

そう言ってオババはどこかに消えた。

なんとなく、ほっとした。

うるせえ奴がいなくなったのは嬉しいかぎり。

しかしこの時点で、この仕事の本質を理解しつつあった。

そう、【見えるとこだけを綺麗にすればいい】という本質。もちろんオババはそんな事は言っていないが実際にやってみるとそういう結論にたどり着く。

なにより求められるのは質よりスピード。

パッと見て綺麗ならそれでいい。

だからこそ、オババが最初に聞いてきた「掃除が好きか?」という問いは「嫌い」が正解。ほんとうに掃除が好きな人がこの仕事をやればストレスしか湧かないだろう。

掃除が嫌いでさっさと終わらせたいという人がこの仕事に向いている。つまり、うっすらとカビが生えた浴室のカーテンをスルーできるような、そんな甲斐性が必要とされる。

ベッドを組んでいる時だった。

どうもシーツの角を織り込むのが上手くいかない。もっとこう、シワなく、ピチッとやりたい。そんな思いで時間を費やしていると、

「いつまでそれやってるの!?」

振り向けば、オババがいた。

「上手くいかなくて…」

「そんなこだわらなくていいんだって!さっきみたいにやりゃいいよ!どれ、ちょっとどいて!!」

オババが実演してくれた。やはりその動きに無駄はなく、めちゃくちゃ綺麗に秒で仕上げていた。

だが、それはベッド四つ角の一辺のみ。唯一見える所だ。あとは見えないからクシャクシャでいい。

そう、これがこの仕事の真理。

そして、その部屋が終われば次の部屋。終わればまた次、次、次…。

僕の額には汗が流れていた。マジでしんどい。ベッドを動かしたり水回りを掃除したり常に動きっぱなしに加え、たまに注がれるオババの圧というか覇気がほんとうにうっとうしい。

ちなみに休憩などはない。

だからこそ、

水が飲みたい…。

ちょっと、ほんのちょっとでいい休憩させてくれ…。

そういう思いが生じてならなかった。

だがそれをオババに言えるはずがない。それこそまさに昭和生まれ体育会系育ちの僕がこれまでの人生で育んできた悲しき性。気合いと根性、そして我慢。無駄に耐えるその心はあの日の教師のグーパン。

アタマがくらくらしてきた。

そんな僕の異変にオババは気付いたか、

「ゆっくりやればいいから、落ち着いて」

とエールを飛ばす。

違う、違うんだオババ。そういうことじゃない。ちょっと、休憩させてくれ。水だよ。今僕がほしいのは水と休憩なんだよ。

だが、そんな事を言えるわけもなく黙々と仕事をこなす。

そして、その部屋の掃除を終わらせるとオババは言った。

「じゃあ道具片付けるよ」

「え、終わりっすか?」

「指示書見て。もうやるとこないでしょ」

「あー、なるほどね」

オババの発言は基本刺があってチクチクする。だからこそ、たまにタメ口を混ぜるのが僕にできる唯一のディスだった。

仕事道具を片付け、台車にシーツやらなんやらを補充しオババに言われるがままタイムカードに退勤を刻んだ。

「もう帰っていいよ、明日もよろしくね」

「うっす、お疲れっす」

僕はそれだけ言い残し、早歩きでホテルを後にした。とりあえず早く水を飲みたかった。コインパーキングまでの道中、路上の自販機でコーラを買った。それをそこで一気に飲み干す。

ただただ、沁みた。

こんな旨いコーラはいつぶりだろう。

労働の後のキンキンに冷えたコーラは絶望的に効く。

妙に清々しい気持ちになった。道端に咲いた花すらもついつい愛でてしまうほどに。

車に戻り、コインパーキングから出庫。

腹が減った。いつもの牛丼屋に立ち寄る。今日はより疲れたから景気が良い飯を食いたい。うな牛おしんこセット1050円。

それを食っていると、これだけでだいたい1時間分の稼ぎを溶かしていると痛感してしまった。

僕の中の【何か】が変わろうとしていた。


続く